2010年4月20日
シェムリアップ
シェムリアップ一帯は、何世紀もの間、シャム(現在のタイ王国)の領土かその王権の属国であった。Siem Reap は直訳すれ
ば「シャム人敗戦の地」であるが、これは17世紀にクメール人がシャムのアユタヤ王朝の軍隊に勝利したことにちなむ。
帝国主義時代にフランスは東南アジアの広大な領域を植民地化した。カンボジアのほかにラオスもベトナムもこの「フランス
領インドシナ」に属した。1907年3月25日の条約で、シェムリアップ、バッタンバン及びシソポン(合計で 20,000 平方キロメ
ートル以上)も植民地政府に属した。
1975年から始まったクメール・ルージュ支配の時代には、全国の他の都市から誘拐されてシェムリアップの住民にさせられた
人々が、畑での重労働に従事させられた。これらの人々は、1979年1月にベトナム軍が侵攻してクメール・ルージュに勝利した
後、故郷の都市に帰されたが、クメール・ルージュは1990年代の初めまで森に逃げ込んで攻撃を続けた。住民は、長年の間、
バリケードを築いて中心街を守らなければならなかった。シェムリアップやUNTAC平和維持部隊に対する最後の攻撃は1993年に
起こった。
政府が外国人観光客の入国を認めるようになると、多くの観光客がシェムリアップをアンコール遺跡群への拠点として利用し
たため、安定した収入源が加わった。こうして、20世紀の初頭に建てられたホテルが次々に再び営業を始めた。
2000年代に入っても、シェムリアップは観光の拠点都市として発展し続けており、様々な種類のレストランに加えて、五つ星
高級ホテルから5米ドルの安宿まで、あらゆる価格帯のホテルやゲストハウスが営業している。現在、プノンペンと同様に建設
ラッシュの状態にあり、国立の巨大な博物館やコンサートホール(地元の小児は無料)、観光客向けの病院なども建設されて
いる。
肥大化した観光産業がシェムリアップ(そしてアンコール遺跡)をどのように変化させるのかは、まだ予断を許さない。
2005年6月に、市内のインターナショナル・スクールで、人質立てこもり事件が起こり、カナダ人児童一人が殺害された。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
トンレサップ川沿のオールド・マーケットは有名な観光地です。
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